夏限定のすっきりデザート。 江戸人も喜んだ? 真夏の・スイーツ復活
薄荷葛きりは江戸より続く12代目青木條右衛門が、江戸時代の"涼"を再現した純和風のスイーツです。
心地よい甘みの後にスーッとしたミントの清涼感が喉の奥から感じられる葛きりです。
薄荷精製の古文書をもとに再現された、古くて新しい塩沢の新名産です。食べきりのミニパックサイズで、お土産にも贈り物にも最適です。
暑い夏の日、体が喜ぶ「スーッ」感を是非お楽しみ下さいませ。
ミントの "薄荷"とは
薄荷の歴史は古く、平安時代の薬物書には、疲れ目に用いたとして記載されています。漢方薬としていた中国との交流で「薄荷」と記すようになりました。
戦国時代、上杉謙信公は越後上田郷塩沢大館に滞在した折、住民より薄荷を献上され、戦陣の間、座右に置き愛用したとの伝説が当地に残っております。
塩沢宿と "薄荷"
江戸時代になり三国街道塩沢宿が整備されました。この頃、この土地ならではの冬の気候(雪・寒さ)を利用して薬草『薄荷』の栽培技術と清酒の蒸留技術を精製に応用し、商品名を『薄荷圓』として販売いたしました。
せき止め、頭痛・虫歯の痛み止め、めまい、お酒の二日酔い・船酔い・かご酔いの症候緩和などに効果があったそうです。
塩沢のものは品質が高く、まさに万病の妙薬として広く利用され、江戸や大阪では高値で取引されておりました。有名彫刻師石川雲蝶や熊谷源太郎による大看板は、三国街道沿いの名物となり、当時の旺盛振りを物語っていたそうです。
"薄荷糖"の起こり
薄荷糖の製造にも、ここ塩沢の盆地特有の気候が利用されております。
おそらく、夏の暑いときに飴を作っていると、湿気が多い土地のために飴が砂糖に戻ってしまいました。しかし、それは口溶けが良く、そこに涼しさも感じられる塩沢特産の薄荷で香り付けしたのが始まりなのではないでしょうか。
江戸時代初期、砂糖は輸入がほとんどで薬や褒美の一つとして扱われておりました。国内製糖により流通量も増え、菓子への利用も一般的となった江戸時代中期になって薄荷糖が始まったのだろうと思われます。
"薄荷葛きり"
薄荷圓の精製時、純度を高めるために葛粉を使っておりました。その当時、三国街道塩沢宿には菓子屋が数件あり、夏になると塩沢宿で、薄荷の香りの付いた葛粉を水で溶き、飲用していたそうです。
その中にはきっと薄荷葛きりを作り、夏の蒸し暑さをしのいでたところもあったのではないでしょうか。
商品情報
商品名 | 薄荷葛きり |
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価格 | 5個入り 1,250円(税込) 10個入り 2,500円(税込) |
内容量 | 5個入り 10個入り |
消費期限 | 製造日より3ヶ月 |
原材料 | 砂糖、水飴、葛粉、ゲル化剤(増粘多糖類)、香料(薄荷) |
ショップURL | https://store.shopping.yahoo.co.jp/aokishiozawa/28bea6c9ca.html |